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小倉秀夫弁護士が「ウェブ魚拓」の合法性について疑問視されている。まあ、疑問視されるのは仕方がないと思うようなサービスだ。少なくともエントリに書かれている通り、「怒りの矛先が魚拓者に向かうようにする」ことは重要なことだろう。だが、はてブで指摘されているような「オプトアウト」を用意することは、むしろウェブ魚拓を正当化しにくくなるように思う。その点は後述するとして、ちょっと長い余談から入る。そもそも、ある行為(活動)が正当なものか、不当なものかを見極めることは難しい(ことがある)。少なくとも「形式」だけで判断できない場合がある。爆発物を製造するという“行為”は、目的がトンネル工事であれば正当だが、大学や空港を爆破するためであれば不当である。もちろん刑事的にも、前者は処罰されず、後者はされる。行為の“形式”だけでなく“目的”が判断材料になるのだ。では、「工事のために使ってください」といってダイナマイトを製造して配布する行為はどうだろう。受け取った人が、テッド・カジンスキーよろしく大学や空港を爆破するかどうかはともかく配布の“名目”は「工事」であるから合法とすべき、だろうか。受け取った人が大学や空港を爆破してばかりいるのに、相変わらず「大学や空港を爆破してはいけません。工事のために使ってください」と言い続けてダイナマイトを配布しつづけたら、それでも合法とすべきだろうか。たとえ、ダイナマイトの製造者が本当に「工事のため」に配布していたのだとしても、おそらくこうした行為は禁止されるだろう。世の中の多くの活動は、バランスの上に成り立っている。不当な利用が増えれば、たとえ正当な利用法が存在したとしても、制限されてしまうものだ。たとえば、マジコンが「早熟の天才」を生み出す基盤になるのだとしても、現実に不正コピーを助長することばかりに使われていたら、抑止されてるのは仕方がない(私は、それは立法によってなされると思っていたけれどね)。マナーのよい喫煙者が多いとしても、マナーの悪い喫煙者が目に余れば、路上喫煙の禁止というルールができてしまう。怨むなら非喫煙者ではなく、マナーの悪い喫煙者を怨むべきだ。さて、本題に戻る。少し前に書いたことだが、実のところ「ウェブ魚拓」のような仕組みは欲しいと思っていたサービスである。ないなら、自分で作ってみようと思って...
別に嫌いなわけではない。ABBA は私の時代ではなかったが、80年代なら Europe とか、90年代なら The Cardigans とかのヒット曲をよく聴いていたし、ときどき買うコンピレーションものにも入っていたりする。なにしろ SwedishMusic.com というドメインすら持っている:-) ただ、米国、英国に次いで第三位の音楽輸出国というと、ちょっとピンとこない。こないんだけど、よく考えたら英語圏かつ経済的先進国かつ人口が多い国って、カナダとオーストラリアくらいだろうか。そう思うと、それほど他に候補となる有力な国があるわけでもなさそうだ。...
とりあえずメモ代わり。
そもそもサービスに興味がなかったので、そういう話題が出るまで知らなかったのだけれど、はてなブックマークの新有料サービスには「後で読む」を簡易にするためにコンテンツをメールで送信できる機能があるらしい。これが「複製」であることは間違いないだろう。“ケータイ変換”なら元記事が変更されれえば、変換後のテキストも変更されるから“キャッシュ”と言えるかもしれないけれど、メール送信は送ったらそれまでなのだから。
その意味で「無許可の複製だから侵害」という指摘は、“おっ”と思うようなことだったのだけれど、結局、これは私的複製にあたるのではないだろうか。たしかに、著作権法では公衆用自動複製機器による複製は私的複製にあたらないとしているのだが、一方附則第5条の2では、文書・図画を例外として認めている。テレビ番組や音楽とは決定的に違うわけで、つまり、これはコンビニにあるコピーと同じじゃないだろうか。もちろん、将来的に問題視されない、ということではないけれどね。...
前エントリに対して、畠中氏がまとめエントリを書かれている。例によって“難癖つけやがって”というレス・・・になっていないことを意外に感じる私はひねくれ者?閑話休題。金額の問題はいかんともしがたいと思う。古本という性質上、元の値段よりずっと安い値段で売買される上に、還元率(印税率)も低いだろうし、さらに元の印刷部数よりずっと少ない取引しかないのであれば、その総額が元の収入と比べものにならないほど少ない金額にしかならないのは当然だからだ。そして、その上に支払いの分配という問題も絡んでくるわけで、ぶっちゃけ現実味はあまりないと思う。そこで、畠中氏の“気持ち”を活かすにはどうするとよいかを考えてみた。結論を言うと、作者に直接還元するのは諦めて、漫画家の卵を育てるとか、ネットで共有できる漫画やオリジナルアニメを制作するという方向に投資してもらうというのはどうだろう。どれも具体的な方策まで考えているわけではないが、たとえば新人漫画家向けの奨学金みたいなものを創設してはどうだろう(奨学金を与えたくなるほど有望な新人であれば、すぐ自分で稼げるようになるはず、というツッコミはありそうだが)。あるいは、ニセモノの良心というブログ主の孝好氏が、「アニメの次の担い手?」というエントリを書かれていたのだが、それこそ最初からネット共有を前提にしたアニメを作ってしまうということも考えられる。還元しようという利益を多数の作家に分散させてしまうと、ちょっとした“山”でも“チリ”になってしまう。むしろある程度“山”になったままお金を使うことを考えるということだが、いかがだろう...
アーカムブックスという漫画の中古販売の社長(畠中英秋氏)が「中古本の利益をアーティスト、著作権者に還元する」という姿勢を表明している。「利益をアーティストに還元する」っていうだけで嬉々として思考停止してしまう人もいるようだけれど、普通は「どうやって?」「いくら?」と思うところだろう。という話をはてブにコメントしていたら、「著作権者に利益を還元すること~みなさんの意見、ブロガー編~」というエントリが書かれていた。そこには「広く意見を求める事で自分が考えてなかった問題や疑問もでてきました」とも書かれているのだけど、「それくらい考えておけよ」と思うような話もある。(まあ、こうやって素直に書いているのだから、叩くような話でもないだろうけれど)詳細は、リンク先のエントリを見ていただくとして、まず気になったのは「還元する相手をどのように特定し、分配するか?」というところ。グーグルのブック検索もそうなのだけれど、書籍はもともと...
ICPF は固定リンクくらい用意すべきだと思う今日この頃、研究セミナー「売れない学術書の著者が集まりグーグル電子図書館への対応を議論する会」に参加した。城所岩生氏は、異議申し立てをすすめる記事を書かれていて(はてブに書いたとおり、論拠には異論があるのだが)、今回のセミナーは議論の場にしましょうということも書かれていたので、(どこぞの会合よりも)期待していた。実際、学術書に関係する方々というせいもあるのか、参加者のレベルは高かったように思う。冒頭、東洋大学の山田氏が「説明をグーグルに求めるのはお門違い→相手は和解管理者」「著作権団体は、保護期間を延長するときには海外に合わせろというのに、今回の和解でアメリカのルールを押し付けるのは横暴という論理はおかしい」(←心の中で拍手したよ)「文芸書と学術書では立場が違う」という、至極、妥当な解説があり、それでもなお、著作者の不安があることから、このセミナーを開催することにしたという説明があった。続いて城所氏が登壇され、IT+PLUSの記事に書かれていたような話をされた。やや誤認と思われる部分もあったが、そこは逐次指摘させていただいた(言い訳するようなことでもないが、もちろん険悪な雰囲気になどならなかった)。どうやら学術書関係の出版社では「この件については、電子出版や二次使用への委任と同様に、対応は出版社におまかせください」と言われているケースがあるようだ(まあ電子出版権を契約で明示しているなら、不当ということもない気はするが)。もともと、アメリカでは出版社が著作権を持つのに対し、日本では著者が著作権を持ち、出版社は出版権(契約によっては電子出版権などを含む、逆に契約がないことも)しか持たないことも多いので、「出版社に、いつでもご相談くださいと言われても、出版社側に都合のいい回答しかくれないだろう」と言われていたのが印象的だった。いずれにせよ、問題は和解の「意図」ではなく「メカニズム」だと思うので、今回のようなセミナーに参加している人たちの著書については、それほど不安に陥れられるということはない。問題は、そういう懸念を持たない著者たちの作品なのだから。ところで、直接関係ないのだが、日本の国会図書館のプロジェクトについて取り上げた流れで、日本文藝家協会らしき人が「1700部印刷する中で図書館に700部買ってもらうようなケースがあり、重要な収入源になっている」という話をしていた。一方で、城所氏は「図書館は新刊本を買ってくれるなといわれることもあるらしい。おかげで人気の本は何カ月も待つことになる」という話を紹介されていた。それって「図書館に需要のない本だけ置いとけってことかー」と(心の中で)叫んだよ。※2009.5.20追記。...
小倉弁護士の「見抜けないのか,見抜いた上で目を瞑っているのか」へのコメントをはてブだけで済ませていたのは納得していたのではなく、色々忙しかったからです。閑話休題。さて、大野さんと私の認識の違いは,裁判官の能力に対する信頼の高低にあるのだと思うのです。とのことだ。そもそも有罪判決を出しておけば裁判官が立身出世できるという理屈がよくわからないのだが、たしかに時々首をかしげたくなる判決を聞くことはある。もっとも、そういうものでも判決文を読むと、それなりの理由が書かれていたりすることもあるのだが(Winny...
今日配信されたらしいニコニコ動画のホリエモン公式チャンネルの月額費用(1,000円)について、色々言われているようだ。公式チャンネルの宣伝ビデオを見ると批判メッセージが山のように表示される。(価値がないと思うなら、たんに見なきゃいいと思うんだが?) すでに heatwave さんが指摘されているとおり、ひとくちにコンテンツといっても、さまざまなバリエーションがあるのだから、一律に取り扱いを決めたり、横並びの値段をつけられるというものではない。以前、磯崎哲也氏の週刊isologueについても、(もっと冷静だけれど)同じような話がコメント欄でなされたりしていたのだが、興味のある内容なら月額800円とか1000円という金額が“べらぼうに高い”と言われるような金額ではないと思う。もっともホリエモンチャンネルについては、まず「月額1000円払うと、どれだけのコンテンツが配信されるのかがわからない」という疑問がある。公式ページに記載されていないし、報道でも「堀江さん自身が発進する動画コンテンツを展開する」としか書いてない。1か月にどれだけのコンテンツが配信されるのかもわからないのに、会費を払うなんて、よほどの物好きではないか(まさか毎月1本じゃないよね?)。いや、そもそも堀江氏は保釈中の身にすぎないのだから、最高裁で実刑くらったら、撮影続けられないんじゃないのかとか、まあ、そこまでは余計なお世話か。でも、有料でやるからには、ちゃんとしたスタジオで、プロに頼んで撮影・配信しているに違いない(現物を見てないから何とも言えないけど)。スタジオ代、カメラマン、照明さん、音声さん、配信作業、ディレクターの方々にかかる費用は、打ち合わせもしているんだろうなどと考えると、数十万程度、ヘタすると百万程度の費用が飛んでいっている気がする。仮に30万くらいで済んでいるとしても、300人の有料配信があって収支トントンである。でも、(現在ある情報だけで)月額1000円で300人って、けっこう難しい数字だと思う。100円にしたら多少増えるかもしれないけど、10倍にできるだろうか。お金を払って堀江氏が提供するコンテンツを見ようと言う人が3000人というレベルでいるだろうか。やっぱり疑問。そういう意味で、ホリエモンチャンネルはちょっとでも利益を稼ぎたいというより、オリジナルな動画配信による収益モデルの確立を目指した実験なのだと思う。本来、ニコニコ動画自身の配信コストを考えたら、ホリエモンチャンネルを無料で配信することくらい、わけないと思うからだ。それを有料でやってみようと思ったのだから、けっこうな英断だったのではないか。まあ、間違いなく失敗するとも思うのだけれど。個人的には、この中継を誰かがリッピングして...
ダウンロード違法化に効果を持たせる。※解説要らないと思うけど、そのうちするかも。...
まあ、ブロガーがみんなジャーナリストを目指しているわけではないだろうけれど、ブック検索の和解について語るなら、まず当事者である和解管理者に聞いてみるべきではないだろうか。彼らは(つたない訳者を通じてだけれど)日本語での質問も受け付けている。勝手な解釈で黒船だの利権の破壊だのと位置づけてしまっても、あさっての方向への反発を招くだけで、なにも話が前に進まない気がするのだけれど。ブック検索の和解が目指しているもの(あるいは合意しているもの)は、世の中で書籍として入手できなくなった著作へアクセスできるようにすることである。これからはオンラインの時代だから著書はすべてオンラインで見られるようにすべきなのだとか、著者はそれをデフォルトとして考えるべきなのだとか、そんな思想的な変革を意図しているわけではない。もちろん、著者の意思としてそういう選択をするなら、それに応える制度(パートナープログラム)はあるけれど、著者の知らぬ間にこっそりと著作物を活用させてもらおう、ということを意図しているわけではない。それなのに、外野がそういうことを吹聴したら、反発されるのは当然じゃないか。ハッキリ言って彼らの意思が正確に実現できるのなら、私はたいして問題視するようなことはないとすら思う。私が問題視しているのは、あくまで「仕組み」である。彼らの意思がどうであれ、現実に提案されている仕組みは、彼らの意思を正確に反映するには程遠い、と私は思う。それに、翻訳の質は相変わらず酷い。たとえば、トップページに掲載された期限延長の案内は、こうなっている。除外期限は...
結局のところ、私はネットで検索したり wikipedia で調べたり、テレビを見たり本を読んだりしている程度の素人談義ではあるわけだが、「素人判断の懸念」を指摘するエントリに対して、「素人はこれだから」と言うのは、論法として間抜けっぽい気がしないでもない。まあ、開発の専門家でない小倉弁護士が、マジコンは早熟の天才を生み出すというクライアントの主張(そういう主張があるとして)を真に受けたとしても不思議ではない……ゲホ、ゲホッ……少しアーキテクチャを変えれば、不正コピーを困難にしてもなお、早熟の天才の独創性に何ら支障をきたさないデバイスを作ることなど雑作もないという指摘に耳を貸さないのは不思議でたまらない……ゴホッ……わけだが、そうだとしても「検察は,痴漢関係のみ冒険的に振る舞っているのではない」で語られているのは、私の指摘した「裁判における素人判断への懸念」に答えるものになっていないように見受けられる。小倉氏のエントリが問題視しているのは警察や検察の姿勢ではないだろうか。その部分においては、証拠の捏造や隠ぺいなどが起きぬよう、取り調べの可視化などやるべきことはあると考えている。しかし、検察が証拠を隠ぺいしているのなら、現在の職業裁判官がそれを追求しないのと同じように、裁判員が見抜くことも困難ではないだろうか。むしろ、裁判員は素人なのだから、かえって簡単に騙しやすいのではないだろうか。『十二人の怒れる男(12...
小倉弁護士の「今更裁判員制度を中止したところで待ち受けるのは暗黒の刑事裁判」というエントリについて、「裁判員制度になったからといって“冤罪”の可能性が減る保証はないと思うのだけれど(たとえば、もし河野義行氏が起訴されたとして無罪でいられるか、という意味で)」というコメントを書いたら、「松本サリン事件でも,実際起訴されてオウム説が浮上する前に判決言渡し期日がきていたとしたら,職業裁判官は有罪判決を下していたのではないでしょうか。」と返された。これは ncc1701 さんが指摘するとおり、私の例えが悪かった。日本では「起訴されたら、99%の確率で有罪になる」というのが現状のようなので、河野氏の場合、公判を維持できそうになければ、そもそも起訴される可能性は低かったのだし、逆に起訴されていたとしたら有罪になった可能性は極めて高い。高い有罪率については、職業裁判官が無思慮に有罪認定しているというよりも、検察側に「とりあえず起訴して、裁判所の判断を仰ぐ」という考えがないという面があると思う。実際、「あいつの発言は名誉棄損だ」と警察に相談したところで、すぐに起訴してくれるわけではない。色々証拠固めができて罪を問えそうになってはじめて起訴してくれるというのが現状ではないだろうか。詳しくは書かないが、形式的には明らかに犯罪なのに、証拠云々などの事情で起訴に至らなかったという例を聞いたこともある。その意味では、冤罪とは反対に「罪があるのに、罰を受けない事例」(冤罪の対語って何と呼ぶのでしょう?)もあるだろう。もちろん、罪のある人に罰を与えられないことより、罪のない人に罰を与えること(冤罪)の方が問題は大きい(だから「疑わしきは罰せず」というのだし)。ただ、検察が今まで通り「有罪が確実な事例」だけを裁判に持ち込み、かつ、裁判員制度の方が裁判官よりも「無罪率が高まる」というだけなのであれば、ランダムに無罪率を高めるのと同じ程度に冤罪率を低くする効果があるというだけではないだろうか。小倉弁護士が裁判員制度に信頼を置くのであれば、「とりあえず起訴して裁判所の判断を仰ぐ」ことを同時に導入されるとしても、同じように裁判員制度を受け入れることができるだろうか。『ニューズウィーク』か何かで、こんな話を読んだ。アメリカでは、無罪判決を受けると検察は控訴できない。無罪判決を受けたということは「どこかに疑わしい」と思われた部分があり、少しでも「疑わしい」ものを罰しないためである。ある裁判で、少女殺人事件の罪に問われていた被告が、陪審から無罪判決を得た。そして、その判決を聞いた直後に「俺にだまされた馬鹿な陪審どもめ。俺がどうやって彼女を殺したのか詳しく教えてやろう」と詳細を語り始めたのだそうだ。もっとも、そういう場合にまで無罪判決が有効にはならないようで、彼の「自白」に基づき裁判はやり直しになったそうだけれど。今のところ、裁判員制度は刑事事件だけで採用されるそうだが、では民事事件で取り入れられたらどうなるだろう。あるいは大野病院事件のような場合にも、裁判員は冷静な判断が下せるだろうか。学校で議論の練習すらしていない日本で、“素人判断”を取り入れることに対する懸念を私は拭えないのである...
小倉弁護士が google ブック検索の和解について「何も畏れることはない」というエントリを書かれている。和解した上で,検索データベースからの作品の削除を申し出ればいいだけであって,何も危機感を覚える必要はないのではないかという気がします。原則としては、このとおりであろう。以前にも書いたが、和解に残留すれば自分の作品については版権レジストリで仔細を管理でき、一切の使用を禁じることさえできる。それ自体が和解残留の“エサ”になっている気がしないでもないのだが、それは脇に置いておこう。繰り返し書いているとおり、和解の問題は、そもそも版権レジストリ(私は“方式”だと思うのだが)を知らない著作者が大勢存在するであろうこと、しかもほとんどの作品が(amazon.jp...
佐々木譲氏が「鎮魂のための映画」というエントリで、以下のように嘆いている。ニュースでは、和解参加派の作家は11パーセントだという。わたしはそれほど少数派か。世代間で態度にちがいがあるのではないかとも思うのだけど、そのあたりはどうなのかな。ネットを使う作家、キーボード入力をしている作家と、手書き作家とのあいだでもたぶん違いは出ているはず。まず、この11パーセントという比率は、日本文藝家協会のアンケートにおける「回答のあった2712人のうち、デジタル化と表示を容認し、収益の分配を受け取る293人」という意味ではないだろうか。そうだとすると89%が和解から離脱した、ということではないだろう。そして、この比率が低いことは、ことさら嘆くようなものではないと思う。もともと、ブック検索の和解は「作家の知らない間に、書籍をネット公開してしまう」ということを意図したものではないからだ。オルタナティブにも書いたけれど、オプトアウト(意志表明した時だけ除外)するというスタイルをとっているのは、許諾を得たくても権利者がわからないような孤児作品を表に出すためだ。権利者が名乗り出た作品、さらに言えば、現在販売中のものであれば、その表示使用が無効にされることは、十分に想定の範囲だろう。販売中かどうかが重要な判断基準になっているのも、入手できない書籍を入手できるようにするためだ。その意味では、作家が集まって「我々の作品を勝手に使うようでは困る」というのも、やや的外れだ。“その人たち”は、勝手に使われないようにする方法がもうわかっているはずだからだ。版権レジストリのデータが網羅的でないという面はあるにせよ。ブック検索の問題は、ひどい翻訳で和解内容を正しく理解できなかったり、そもそも仕組みを知らない人の作品が孤児作品として勝手に使われてしまったり、版権レジストリに誰でもアクセスできてしまうことにあるのだと思う。日本ビジュアル著作権協会が独自の交渉を進めるという報道があるのだけれど、彼らの作品についてだけ交渉するのであれば、和解から離脱することに何の意味があるのだろうか疑問に思う。(残留して書籍情報を除去してしまえば済む話なので...
参加“報告”ではなく、ちょっとした感想です。報告については、時間ができたら、いずれ(←ほんとか?)。私がレッシグ氏が好きな理由は、押しつけをしないところだ。今日の講演でも「クリエイティブ・コモンズ(CC)は、ひとつの選択肢であり、すべての人に CC を採用すべきとは言いません」とおっしゃっていた。CC は、アーティストにとってチャンスになりうる。だが、すでに成功したアーティストに押し付けるようなものではないし、それは現実的ではない、そういう話をされていた。ふだん、レッシグ氏の話を読んでいる人には目新しいことではないだろうけれどね。この“現実感”は、リーナス・トーバルス氏にも感じるものだ。トーバルス氏も、オープンソースの力を信じているし、その分野で活動はしているけれど、「世の中すべてそうあるべき」という話はしない。あくまで選択肢なのだ。世の中は多様であり、色々な選択肢がある。私と同じ選択を、他の誰かもしなければならない、なんて法はない。それこそが“自由な社会”というものだ。今日の話は、ものすごくざっくりまとめると、既存のコンテンツを...
いよいよ締切間近で佳境を迎えるかと思っていたブック検索の件が4か月も延期になり、なんだか拍子抜けしている今日この頃なので、保留していた件を取り上げてみる。いつも冷静なエントリを書かれている heatwave さんが「我々の権利を軽んじつつ、自らの権利(利権)ばかり拡大しようとするJASRACの人」というエントリで怒りをあらわにされているのだが、私は疑問を持った。もっとも、リンク先で紹介されている記事におけるいではく氏の発言には、こんなものがある。さらにいで氏は、過去の著作権分科会で主婦連合会常任委員の河村真紀子氏が、「自家用車で聞くために、消費者はもう1枚同じCDを買うのか」と疑問を投げかけたことを取り上げ、「当然だと思う」と説明した。JASRAC...
今回はランドには行かず、シーに2日連続。ブック検索にも動きがあるようだ。だけども、問題は今日の雨・・・じゃなかった、明日の仕事。...
発端は小倉弁護士の「代表なくして課金無し」というエントリ。はてブで、「そうなんだけど、MIAU に代表してほしいと思わないからなあ。だからといって主婦連合会や中山信弘氏に期待しているわけでもないが。パブコメと選挙権を活用する程度か。」とコメントしたところ、ex_hmmt 氏から「うーむ……↓id:mohno のような「MIAUに代表して欲しくない」人たちは、「でもそれ以外の団体を立ち上げる程の事でもない」と考えてるんだよね、他の団体が立ち上がってこないのは。」と指摘された。そのとおり、と素直に返せないのは、実は痛いところである。私を含め、色んなことに色んな文句をつける人がいる。政治家に文句を言い、役所に文句を言い、著作権者に文句を言い、ときには上司に文句を言う。言うんだけれども、「文句があるんなら、自分でやってみろ」と言われると、なかなか「じゃあ、やってやる」とは言えない。たとえば私は、政治家になって私事を忘れ、市民や国民のために心底尽くせるかというと、そういう覚悟があるわけではない。かつて堀江貴文氏が衆議院選挙に立候補した時には、驚いたものだ。政治家に文句を言う経営者はいても、自らその世界に飛び込もうとする人はまずいない。以前にも書いたけれど、MIAU...
『米国Googleの権利覇権と情報流通革命』というイベントに参加した。公私ともにそれどころじゃないわけだけれど、どうやら出版業界はつい最近になってあわてて色々対応しているようで、状況を知るいい機会だと思ったからだ。講師は福井健策氏(どこかで、ケンサクつながりですか、とボケようかと思ったがやめた)。津田氏が Twitter で実況中継していたので、詳細はそちらに譲るとして、概ね同氏が書かれているコラムに沿った話だった(コラム1、コラム2)。ただ、どころどころに突っ込みどころがあり、大げさに言えば、黙っているのがやや苦痛でもあった。以下、うろ覚えの部分もあるので、ご了承のほど。福井氏の話で注目したのは、「日本の著作権はあいまいなので、出版社も著者も明確な対応ができずにいる」「現状は、とりあえず和解に残留した上で、数年をかけて明確化していくべき。」「今回のは第1ラウンドで、この先の第二ラウンドに期待している」といったところ。だが、後述のとおり「あいまい」ですませていることが問題を引き起こす可能性もあると思う。さて、これが、どういう流れだったかというと、まず福井氏が「出版社には契約によって出版権があるけれど、インターネットで配信する場合の権利はあいまい。電子出版が明記されている例は、少ない。そういうあいまいさが、対応を難しくしている」という話をされていた。私はインターネット配信も「出版権」の一部だろうと考えていたから、「出版権とインターネット配信が別個のものとして考えうるというのは意外だった」というところで、「別個とは言っていない。そういう理解になるのかわからない」という話になってしまったわけだ。もともと出版社が「出版権」に言及しないのを不思議に思っていていたのだが、荒俣宏氏のブログによれば、講談社からは「対応は各自で」と言われているようだし、文藝春秋社からは「日本の出版社には直接何の権利もないので、この和解に介入することができず」と言われているらしいし、その他の出版社も手続きを代行するという対応のようで、とくに出版権に言及している出版社があるように見えない。しかし、「出版権とインターネット配信が別個のものとして考えうる」なら、この対応もわからなくもない、という話である。実際には、先に指摘されているとおり、それはただ「あいまい」なだけであり、時間をかけて解決していくべきことだということではあったのだが。そうは言っても、今回の和解が米国内のものということであって、ブック検索は世界中に広げようと考えられているプロジェクトである。実際、版権レジストリは米国で使用することだけを想定したものではない。ということは、出版社が今回「口をはさまない」と表明してしまうことは、ブック検索が日本にやってきたときに「口をはさむ」理由を放棄することになるのではないか。その疑問に対する福井氏の答えがこちらである。ちなみに、こちらの質問は、もともと「米国で流通していないものは“絶版(Out-of-Print)”扱い」という点について、実際データベースではほとんどの書籍が絶版という印が付けられているのだけれど、福井氏がグーグル・ジャパンから聞いた話として「日本の流通で扱っているものは、流通しているとみなすよう米国に働きかけている」ということを紹介されたのに対し、私が和解管理者から聞いた話として「amazon.jp...
MIAU の榎本温氏が「改正著作権法案がそのまま成立したら、海外アーティストの公式サイトからのダウンロードも違法になる」というエントリで、公式サイトでプロモーション目的で公開されている楽曲ですら違法扱いになるという指摘をされている。「国外で行われる自動公衆送信であって、国内で行われたとしたならば著作権の侵害となるべきもの」には、たとえばアーティストの公式サイトで行われている音源サンプルの配布がある。以前、小倉弁護士も「キャッシュの運命は如何に。」というエントリで同様の指摘をされていた。自動公衆送信が著作財産権に含まれていない国でアップロードされたもの(当然,著作権者の意図にかかわらず,許諾はなされていない。)や,日本にはない権利制限規定(例えば,米国法のフェアユース等)により合法的にアップロードされているものをダウンロードする行為が違法となってしまいます。それはそれで価値判断的に如何なものかなあという気がしてしまいます。...
例の件がなかなか進まないので、今日は、あまり当たり障りのない話でも書いておこう。息子が合唱の練習をしているのだが、今日はうっかり休みだったのを忘れて出かけてしまった。連れて行った妻が会場の直前で別れてしまったため、息子は誰もいない練習会場の入り口で妻が戻ってくるのを30分以上も待っていたらしい。というような話があって、今日は家族で、「一葉桜まつり」というイベントを見に浅草に出かけた。午後に、「江戸吉原おいらん道中」というのがあったのだが、暑い中、ゆっくりと歩く花魁は大変だろうなあ。ちなみに、“現存する”最後の花魁が書いたという『華より花』という本を紹介していた。いや、本当にそう言って紹介していたんだってば。そのあと公園に行き、男の人が連れて来た犬(パグ)と、(息子を含む)子どもたちとが遊んでいた。この男の人、暑い日なのに背広でネクタイしていたが、何だったんだろう。夕食は「うんこビル」として知られるアサヒスーパードライホールへ。地ビールを一通り飲んだ妻は満足げだ。ところで、山手線に導入されて人気を博しているのが「車内モニタ」。しばらく前から中央線にも導入されているが、中吊り広告に比べて、かなり宣伝効果が高く注目されているらしい。その社内モニタで、たまたま今日見かけたのが「エコライド」という新しい乗り物。ジェットコースターのように、高い位置に引き上げておいて、坂を転がせるという輸送手段である。世間のエコロジー活動を一例として取り上げられていたのだが、ほんとうにエコロジーなんだろうか。ちなみに、エコライドのプレス向け資料(PDF)があり、エコライド担当者へのインタビュー記事も公開されている。まあ、「既存の乗り物よりエコロジー」というより、既存の乗り物を補完する位置づけのようだから、別に競合するわけでもないんだろうが(でなきゃ、置き換えが進むはずだ)、PDF資料を見てもらえばわかるとおり、建設費用が...
息子の春休みに合わせて、久々にまとめて休みを取ったのだが、例年になく充実した春休みになった。買い物に出かけたり、息子が通う合唱団が参加するコンサートがあったのだが、メインはグアム旅行だ。日本人観光客で埋まっていることが容易に想像でき、「海外に行った気がしない」という懸念を覚悟した上で臨んだのだが(予想通り、日本語だらけだったが)、碧い海と白い砂浜で妻も息子も大いに満足したようだ。というより、これほど事後に評価の高かった旅行は今までにないくらいだ。まあ、いつもはアメリカに旅行するときは、たいてい妻がレンタカーを運転するということもあり、「休息というより、むしろ一仕事」という印象で帰ってくることもあるくらいなのだ。宿泊したのはグアムリーフホテル。よくわからないが、ホテルのグレードとしては中の下くらいなんだろうか。もっと安いところでよいという意見もあったのだが(すでに、あまり空いていなかったということもあるが)、評判がよさそうだったので決めた。まあ、正直、部屋は広くなかった。というか、ベッドがクイーンサイズでもなくシングルサイズだったので、息子と添い寝するとかなり狭かった。しかし、プライベートプールがあり、そこからすぐにビーチに行けるというのはよかった。当初は、オンワードビーチリゾートという選択肢も考えていたのだが、ここは繁華街から遠いので、後悔していたかもしれない。ビーチでの遊具をホテルチャージにできたり、主要な場所をトロリーが巡回していたり、とにかく観光向けのシステムが出来上がっているのだな、と思う。今日は、吉祥寺公園で花見もした。激混みだったが、まあ、とにかく充実した春休みだった...
二枚舌を恥ずべきこととも思わない小倉弁護士が、再び滑稽な話を書いています。「むしろ、読者に斟酌される属性をコントロールしたいのでしょう。」というエントリでは、属性が加味されることに賛同できない人は、論者に関する属性に言及されている部分を無視すればよいのではないかという気もするのですが、どうもそれは彼ら自身望んでいないのではないかという気もします。と
書いています。誤解のないよう前置きしておくと、矢部善朗氏と小倉秀夫氏の痴話喧嘩について、ことさら矢部氏を支持するつもりはありません。しかし、「属
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