コンテンツを持たないリスク
※タイトル違うけど、後編。
かつてパソコン通信全盛時代には、NIFTY や PC-VAN(現biglobe)などで、(無料の)ソフトウェアライブラリを提供していたフォーラム(分科会)が人気であった。接続時間で課金するという従量制の時代、こうしたソフトウェアのダウンロード費用の一部が運営者の収入となるため、ダウンロード時間がかかるフリーソフトを大量に保有していることは「金のなる木」を持っているようなものでもあった。(こうした対価がソフト作者ではなくフォーラム運営者にだけ支払われることを疑問視する向きはあったが)
時代は変わった。ブロードバンド全盛の現代では、インターネット接続に従量制で料金を払う人はいない。上記のような役割は、ベクターのようなダウンロードサイトが果たすようになった。もはや接続料を気にせず、ソフトウェアをダウンロードできる(もっとも、ベクター設立からブロードバンド時代の到来には随分時間がかかったが)。「ソフトウェアをダウンロードするならベクター」といった目的別のポータルサイトが登場するようになった。
だがインターネット上に次々に「新しい何か」が登場するようになり、“何か”を探し出すための簡単な方法が求められるようになった。人気を博したのが google に代表される全文検索エンジンである。しかも、Yahoo! のような人力で整理された情報ではなく、PageRank という自動的かつ効率的な仕組みで目的に合うものを見つけてくれるのだ。もっとも私の記憶では当初の google はそれほど精度のよい結果を出してくれたわけではなく、整理された Yahoo! の情報の方がありがたいと思っていたものだ。それでも google が(AltaVista と違って)成長できたのは、ちゃんと(技術的意味も含め)投資をしてきた結果だと思う。
通常、検索エンジンは、自前のコンテンツを提供しない。代わりにコンテンツを見つけ出す能力を提供する。意味のあるコンテンツの作成には労力(お金)がかかるけれど、ビデオファイルを配信するわけでもなく現代では大きな負荷はない。自動化された検索エンジンに必要なものはコンピュータと電気代だけである。「電気代が悩み」なんて、他の検索エンジンからすれば贅沢なものだろう。「Webを食い物にする」という批判も、自動化で楽をしている検索エンジンへの嫉妬なのだと思う。
しかし、自前のコンテンツを持たないことはリスクにもなりえる。ほとんどの人は、ほしいものを見つけたいから検索エンジンを使うのであり、本来、特定の検索エンジンに肩入れする理由はあまりない。検索エンジンがビジネスになるなら、さまざまな企業の参入の動機になるだろうし、実際競争は起こっている。面白い、役立つコンテンツは、どこにあっても色々な検索エンジンからでも見つけられるようになるだろう(コピーされるリスクは別)。前述したソフトウェアライブラリという「金のなる木」を持っていた運営者が、時代の変化にともない甘い汁を吸えなくなったように、突如、新たなプレーヤーが登場してもおかしくはない。
もちろん、そのような競争下にありながら、google が何年もトップを走り続けていることは、検索技術が抜きん出ている証拠だといえるかもしれない。"Do no evil" を標榜しつつも、「中国市場における妥協」 「ソフトウェア特許の活用」といった、いわば企業として正しいビジネスデシジョンを下しているのも、(Netscape のマーク・アンドリーセンのような)これまで急成長してきたプレーヤーとは異なる点である。(というか、そもそも "Do evil" なんて自分でいう企業があるのか、とも思うけれど)
とはいえ、google の検索精度がナンバーワンじゃないという人もいる。少なくとも主要プレーヤーの中で“もう新しい技術は登場しない”と思っている人はいないだろう。そして、インターネットで変化が起こるのは、それほど時間がかからない(ことが多い)。このご時勢、磐石なビジネスなんて、そうそうないのである。(「google はもうダメ」と言っているわけではないので、誤解なきよう)