mohno

ドメインに関する話題を取り上げます。と思いましたが、まあ色々と。

秋葉原事件の市民報道

予報では、この日は天気がよくないようだったので、早々と予定を変更していたが、状況によっては現場にいたかもしれない。そう思うと、とても恐ろしい事件だ。そして、この事件が twitter やら ustream やらで“報道”されたことが話題となっている。

たしかに、これだけネットが普及し、多機能なガジェットが出回っていて、アマチュアでもプロ並に“報道”できる環境がそろってきた時代なのだということはできる。テレビ局なり新聞社の記者だけが、野次馬根性丸出しでも報道できるのだ、などというつもりは毛頭ない。だが、報道を“気取っている”人々は、はたして報道する責任を負う覚悟をもっているのだろうか。

プロでも、節操のない報道は批判を受けるし、受けて当然だと思う。アマチュアだからって、それは同じだ。あるいは、逆の立場で考えて、自分が被害者になったとき、(市民による)報道を報道として受け止めることができるのか。報道したことにより、さらに問題が起きた場合に、ちゃんと表に出て(身元を明らかにして)対処する覚悟があるのか。その覚悟がないのなら、やめておけ、と私は思う(もちろん、プロに対しても、だけど)。

※2008.6.11追記。はてブで、heatwave さんから、
報道機関が矢面に立ってくれるプロと、個人がやり玉に上げられるアマ、この違いが私が危惧するところです。覚悟というよりは、引き起こされる結果への「想像力」が必要かなと思う次第です。
というコメントをいただいた。間違って捉えているかもしれないが、プロが取材したものはテレビ局なり組織が責任を持ってくれるのに、個人の場合は自分で責任を引き受けなければならない(そこに不公平感がある?)ということだろうか。しかし、“報道する主体”が、その責任を負うというのは当然のことだと思う。

たとえば、日本の放送局は(少なくとも建前は)「放送基準」にしたがって放送しており、「報道の責任」によれば公平性やプライバシー、個人の尊重、さらには「陰惨な場面の細かい表現は避けなければならない」といったことが決められている。もちろん、影響力の大きい組織(仕組み)だからこそ、厳しい倫理感が求められるという面はあるだろう。一方、ustream のくだんの人にしてみれば「最初は身内」ということだったようだから、たいして影響力を考えずにやっていたが、たまたま「思わぬ広がりを見せてしまった」ことかもしれない。

だが、とくに今回の件をもって「個人報道の速報性」「大きな影響力」云々と語る人々は、その影響度に見合った「責任」も考えてほしい。「知る権利」や「表現の自由」は無制限に与えられるものではない。その意味では、heatwave さんの言うとおり、「引き起こされる結果への想像力」を働かせ、自ら責任を負える範囲で行動すべきだと思う。

posted on 2008年6月11日 1:16 投稿者 mohno

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