刑事罰は医療崩壊をまねくか?
小倉弁護士の「
刑事罰は業界を崩壊させるのか」と矢部弁護士の「
刑事罰は業界を崩壊させ得る」のやりとりについて、少しコメントする。
矢部弁護士のブログで医療関係者がコメントし合っていること自体は、(小倉弁護士が指摘するような)問題を感じておらず、そのコメントが主観的なものであるかもしれないにせよ、ねつ造とまでは思わなかった。ところが、このところは矢部弁護士の方が極論に走ってきているように感じる。
問題視していたのは「
通常の医療行為によって刑事責任を負わされること」ではなかったのか? (それは確かに問題だ) しかし、たんに「医療行為について免責を求める」というのでは、「
問題のある医療行為に対して刑事責任を問えなくなる」可能性があり、それもまた問題だろう。そんなものが受け入れられるはずがない。例示されている福島大野病院事件については、wikipedia
によれば、逮捕・起訴されただけで有罪判決が下ったわけでもないようだ。起訴された事件のほとんどが有罪と認定されているという状況はあるにせよ、その理由は
小倉弁護士が指摘したとおりなのかもしれないわけだし。
いずれにせよ「通常の医療行為」であるなら、そのこと(通常の医療行為であり、過失はなかった)について説明努力をすべきである。たとえ、「逮捕の可能性だけでも医者は萎縮する」ということが事実でも、それを理由に医療行為全体に免責を求めるというのはおかしい。むしろ通常の医療行為であることを実証することで萎縮効果をおさえるべきなのではないか。コメント欄には、はからずも「裁判が信頼できるものであるのなら,刑事免責など求める必要ありません」とあるわけだが、
医者は裁判所が信頼できないから免責せよ、という理屈であるなら、誰も受け入れないのではないだろうか。どう考えても「信頼できる裁判」が行われるように活動すべき、だろう。
たとえば、痴漢の被疑者は、たとえ冤罪であっても大きな社会的な制裁を受ける。しかし、それは裁判で冤罪を証明するしかなく、そういうケースがあるから痴漢を免責しようということにはならないし、電車に乗らなくなるわけでもない。どんなに安全に車を運転していても、不可抗力で事故を起こしてしまうことはある。その場合、100%過失がないとしても、事故当時は業務上過失致死・致傷の疑いをかけられるのであり、過失がないことは事後に説明努力するしかない。その可能性を考えて車の運転をやめるということもないだろう。
「その世界での通常の行為に対する無理解ゆえに嫌疑がかけられること」への抵抗感を理解しないわけではないが、「問題がなかったことを明らかにする過程」はあるのだから、それを利用すべきなのであって、問題がないことを前提にするというのは、それこそ医療不信を招くのではないか。
※2008.6.17追記。
矢部弁護士のエントリに次々とコメントが付いているが、「ミスを許容する」社会を求めている医療関係者が、一方で裁判の判断ミス(それがミスだったとして)について、断固許容できないという態度を取っているように見えるのは、どんなものだろう。