合意できる点を無視した議論は、理解されなくても仕方ない
「
刑事罰は医療崩壊をまねくか?」に書いたとおり、医療関係者が過失についてまで免責を求めよと主張しているのであれば、それは身勝手であり許されるものではない、という小倉弁護士の指摘は概ねうなづけるものだ。
小倉弁護士の「
ドイツは先進国に含まれるか。」というエントリでは、ドイツで違法性が阻却される条件が紹介されているが、これらは患者側からみても妥当なものであろう。それこそ「当該治療が医学的に適応」については、研究が進むことで、ある時不適応だったことがわかるかもしれないが、その時点で「適応」とされた治療を間違いなく施されたのであれば、それについてまで刑事責任を問うべきとは思わない。また、そうした最新の医療事情を知るために「働く時間」を費やすことも私は否定しない。
小倉弁護士のエントリでは、追記として「某自称レベルが高いブログのコメント欄でも,早速誤魔化しに入っているようです」として、矢部弁護士の
エントリのコメント欄を批判している。たしかにそのとおりで、以前は「ヒューマンエラーを免責せよ」という主張が見かけられたのに、現在のコメントでは「これらの条件を免責してほしいと言っているだけだ」と主張しているように見える。(小倉氏のエントリに挙げられた条件に
ヒューマンエラーは該当しない) 福島大野病院事件についても、小倉弁護士は「これも罰すべき」とは主張しておらず、むしろ「当該治療が医学的に適応」なのであれば、それをきちんと主張すべき体制を持つべきなのではないかと
書いている。つまり、小倉弁護士が提示した条件は、少なくとも矢部弁護士のブログに
最近コメントしている医療関係者と合意できる条件のはずだ。
だが、小倉弁護士を支持するのはここまで。なぜか小倉弁護士ははてブで「あの人たちって反論されるとあわてて範囲を限定し出すけど、目を離すとすぐ全面的な刑事および民事責任の免責を主張し出しますからね。本音は、医師が何をやらかしても平気でいられる社会の実現なのでしょうね。」と
コメントしたりして、追及をやめようとしない。まがりなりにも
合意点が見つかったのだから、「ここが合意点」となぜ言えないのか。「
働く時間」というエントリで、会議時間が多いことまで批判しているが、(その調査がどの程度正確なものかもわからないが)はっきり言って余計な御世話だろう。「ここ」で合意しておけば、少なくとも
合意点を超えた免責を求めようとする医療関係者は、合意点はここだと主張する
別の医療関係者に批判してもらえばよい話なのではないか。
実のところ、「合意点はここ」という主張を拡大解釈して、「これが認められたら、きっとこの次は」という批判は少なくない。ネット規制の次は言論統制になるだとか、ダウンロード違法化は架空請求を招くだとか。しかし、勝手に“次の段階”を想定して批判すると、それは“次の段階”が問題なのであって、それがなければ問題ないと言っているようにも見える。こういう論法はやめておく方が、相手に理解されやすいと思うんだが。