著作権と契約、そして他者を巻き込まないでほしい件
実のところ、はてブで
hatebu_music さんの以下のコメントを見つけるまで気がつかなかった。
池田信夫氏はmohno氏のコメントを削除し反論させなくした後、mohno氏に対し侮辱的な発言を繰り返してる。「いわずもがなだが (池田信夫)」←魚拓とっておいた。http://bit.ly/4aOP7I
対象は「
Gross National Cool」というエントリで、このエントリでは、結論として次のように書かれている。
……そのためにはベルヌ条約を脱退して著作権を廃止し、契約ベースで多様な情報の流通形態を創造する実験を、日本が世界に率先して始めてはどうか。
これに対して、私ははてブで次のようにコメントを書いた。
自分の著書の著作権はいつでも廃止できるよ。まあ、自分で実践しない主張は、強く言うほど説得力を失うわけで。あと著作権(copyright)=複製権という意味で、デザイナの話は意味不明。他にも色々。
そして、池田氏はコメント欄で次のように指摘している。
いわずもがなだが (池田信夫) 2008-07-15 14:52:09
「著作権法を廃止する」ことを「すべてコピーフリーにする」ことと取り違えている人がいるようだけど、著作権法は「無制限の下流ライセンス権」という特殊な権利なので、これを廃止しても財産権は有効です。下流ラインセンスについては契約で自由に決められるが、著作権法が既定値を権利者に異常に有利に設定しているため、そうした契約が不可能なのです。リンク先のBoldrin=Levine参照。
これを何度説明しても理解できないで当ブログを追い出されたmohnoが、まだ執拗にイヤミを繰り返しているが、小倉氏も高木氏も、君のストーキングには迷惑してるよ。MSって、日本語が読めなくてもつとまるのかね(笑)
私がエントリを理解していないとか、日本語が読めないとお考えの方は(まあ、そうでない方も)、エントリ本文の最後を読み直していただきたい。
……ベルヌ条約を脱退して著作権を廃止し……
私のコメントは、まさにこの「著作権を廃止」という表現を
そのまま使っているだけだ。ここでは、コピーフリーにさせろというな、とは書いていない。他のはてブのコメントで、そのように捉えているものはあるから、それはそれで表現に注意した方がよいとは思うが、それらは私のコメントではない。次のエントリ「
著作権は必要か」では、著作権の代わりに何段階かの契約を用意すればよい(コピーフリーにするわけではない)と言及しているのだが、そうであれば「自分の著書について著作権の廃止を表明した上で、シュリンクラップ契約を使う」ことにすればよいわけで、私のコメントとも矛盾するところはない。
実際、著作権に頼らず契約ベース(当事者どうしの合意)で著作物を扱うことは、
現行の著作権法に違反すらしない。著作権法で制限されているのは「許諾のない複製」(私的複製などの例外を除く)であって、契約する当事者の合意が得られているのであれば、著作権法の範囲を超えて複製することに問題はないからだ。また、著作権法を緩める方向であれば、一方的に条件を示すだけでよい。たとえば、GPL のようなライセンスについていえば、(普通なら複製できないところ)「GPL にしたがって改変したソースコードも公開する」ことを条件として、複製を認めているわけだ。この条件に合わなければ複製はできない。逆に、一方的に条件を厳しくすることはできない。私的複製を禁じるとか、引用を禁じるといったことは互いの合意がなければ成立しない。
だから、池田氏は自身の主張を自身の著書にあてはめることは、現行の著作権法の下で何の問題もなくできる。もちろん、それを引き受ける出版社があるかどうかは別だが、自分の関わる出版社すら説得できないのに、他の著作権者を説得することなどできないだろう。「自分で実践しない主張は、強く言うほど説得力を失う」と書いたのも、そのためである。
すべての著作物にあてはめることの現実性はともかく、著作権法を超えて契約ベースにすることは技術的には可能だし、実際に行われている。上記のように一方的に通告することで著作権よりも緩やかに複製を認めることもあるし、逆に契約によって条件を厳しくすることもある。たとえば、一般的な商用ソフトウェアには「使用許諾契約書」が付属しており、シュリンクラップ(開封時)またはクリックラップ(インストール時)に、これに同意しなければソフトウェアを使うことはできない。たいていの使用許諾契約書では、(著作権法で認められている)私的複製を禁じている。このように契約ベースの話をするなら、「著作権の既定値が強い」ことは、あまり問題はないのである。むしろ規定値が弱ければ、法律に沿わないケースが増え、ソフトウェアのように使用許諾契約が前提になってしまうだろう。後者のエントリに以下のようなコメントをしたのは、そのような懸念からである。
「契約を消費者と結べばよい」<まあ、そうなんですけどね。→ http://tinyurl.com/69uozr。契約が有効なのは当事者だけだし、間違いなく条件は厳しくなって、レンタルCDとか古本屋は消滅するでしょう。
契約ベースに移る目的は、法律による保護では不十分だと考えられるからであり、まさに著作権法がなくなれば皆が契約ベースに移ることになる(これは池田氏の今回の主張でもあるのだが)。その場合に、はたして今より著作物利用の自由度が高くなるだろうか。契約は当事者どうしにしか意味をもたないので、効力の及ばない流通を防ぐために「貸与」や「複製」が禁止される可能性は極めて高い。そうでなくてもレンタルCDや古本ビジネスに不満を持つ業界が、こぞって厳しい“契約条件”を突きつけてくる恐れがある(もちろん、消費者がそれを受け入れなければよいわけだが)。私は消費者として、そんな世の中になることを望まない。
もっとも、池田氏の著作権への主張における私の提言は
「ご自分の主張を、ご自分で実践せよ」ということに尽きる。ブログは自由に複製させても著書には著作権を主張する、というものでも、もちろんかまわない。レコード会社は「評価用に配布するものと、売り物は違う」と“池田氏の主張に倣う”ことができるだろう。今は世の中が成熟していないから実践できない、でもいい。映画会社は「今は世の中が成熟していないから著作権を主張」と“池田氏の主張に倣う”ことができるだろう。現在の著作権者は、おおむね池田氏の“行動”に倣っているのだから、それが不満なのであれば、(版元の都合だとか、トラブルメーカーがいやだとか言わずに)自ら実践して見せるべきだと考えるのは、ごく当然のことではないだろうか。
さて、冒頭の池田氏のコメントには、もうひとつ興味深いことが書いてある。
小倉氏も高木氏も、君のストーキングには迷惑してるよ。
“高木氏”がセキュリティで知られる高木浩光氏であることは容易に推察できるのだが、このように名前が出されたのは、ある事情が推察される。以前に「
天羽優子氏の記事についての公開質問状」というエントリのコメント(2008-02-01 20:42:11)で、
先日、ある学会でTさんとOさんに会ったとき、2人とも「mohnoさんの粘着には参る」と言ってました。
と書かれたことがあったのだ。この後、たまたまTさんとやりとりしたときに、この話を持ち出したら、Tさんは「それは私ではない」と否定された。そういう経緯が何らかの形で池田氏に伝わって、池田氏は今回、(あえて“Tさん”が高木氏であることを私に示唆しようと)実名を挙げたのだと思われる。
(理由はよくわかっていないが)私が高木氏にネガティブに思われていることについては、はてブで「私の名前を持ち出して……吹聴している」という
指摘を受けて以来、気づいているところでもあり、実のところリンクもはてブのコメントもあまりしていない。もちろん、とくにコメントで指摘する必要を感じることがあまりないということはあるのだが。
今回のコメントについては、そのような状況を見た池田氏が「高木氏が mohno を迷惑に思っている」と推察したものだとも受け取れる。しかし前回のコメントでは「学会で粘着に参るという話をした」という事実をあらわしたものだから、推察という話ではない。この件について、高木氏本人に確認したところ、「mohno氏から粘着されたという事実は存在しない」ため自らそのような発言をすることはない、というお答えをいただいた。つまり、前回のエントリにおける“Tさん”は高木氏ではない。実のところ、それを断言できる理由は他にもあるのだが、先に書いたとおり当のTさんも発言を否定しているのだから、この記述は、よく言っても池田氏が針小棒大に表現したか、悪く言えばただの創作ということになる。これは、関係する人々の信頼を損なうものでしかない。
どんな形にせよ(巻き込みたくない)他者を巻き込んで議論を進めようとすることは、やめてほしい。今回の件についても、(くだらないことに巻き込まれそうという点で)高木氏から苦言を呈された。さらに、私は仕事で書いているブログを別にすれば、この場所でもオルタナティブでも勤務先の意見を代表してはおらず、個人の立場で書いている。勤務先にからめて、揶揄するようなこともやめてほしい。これは、議論の手法として、まったく好ましいものではない。