「文脈」とか「空気」が言い逃れだという件
SiroKuro さんの
はてブコメント「文脈を読めないor空気読めない人の泣き言に聞こえる」について、「空気とか文脈とか言うのって所詮言い逃れでしょ。」と
書いた件についての、今更ながらの補足。
実のある議論を考えるなら反対意見がどんな立場から出てくるかわからないわけで、
「文脈」に頼った議論というものは、そもそも論破されやすいのではないかなあ、ということ。今回の件でいえば、医療関係者の「文脈」だけで話を盛り上げたところで、患者側(あるいは一般人)に受け入れられないものではしかたがない。いわば医療関係者の司法不信を制度で対処しようとすることが(できないと思うけど)できたら、間違いなく患者側の司法不信(というか立法不信かな)を招きそう。まあ、医療関係者の話を聞いて鬱憤を晴らすこと自体が目的なら、それもあるんだろうけど、そうじゃないよね?(いや、実はそれが目的? ならば、それこそ本当に空気が読めてないわけだけど)
別の例として、「商用サービスが提供されていなかったものについて、著作者等に許諾権を与えるというのは立法論的には不適切」(
このエントリの 07/11/2007 14:36のコメント)という主張を考えてみる。これを文字通り解釈すれば、著作物が商品として(対価を払って)入手することができないのであれば、そもそも著作者(というか著作権者)に複製を禁止したり許諾したりする権利を与えることは、法律として適切なものではない、と解釈できる。ところが、著作権法というのは巷で言われているほど不便な法律ではなく、禁止されているのは「許諾のない複製」だけで、許諾があれば複製したり改変することも適法である。
ということは、このように主張する人は(ましてや法律家なら)、商用サービスが提供されていない自分自身の著作物について許諾権を行使しないだろうというのが、普通の解釈だろう(っつーか、エントリ本文の“文脈”を考えても、それ以外の解釈はないと思うけどね)。ところが、このエントリのコメント欄を見ればわかるとおり、そのような話の流れになっていない。いつか、どこかで「文脈」を勝手に設定して、これに反する主張をなかったことにしようと思っているのか、二枚舌を自認しているから主張に一貫性がなくても平気なのかわからないけど、まあ後者かな。
まあ、
こちらの最後でも触れているけど、「(私の)粘着に参る」というような人が、別の人のエントリに関わり続けて「ここまでしつこい揚げ足取りは初めて見ました」と
言われているのは、なかなか珍妙な光景ではある。もちろん、私は“粘着”しているのではなく、おかしな意見を批評しているに過ぎないんだけどね。
途中から別の話になっているんじゃないかと言う人、おっしゃる通りです。:-)