mohno

ドメインに関する話題を取り上げます。と思いましたが、まあ色々と。

裁判員制度の懸念

小倉弁護士の「今更裁判員制度を中止したところで待ち受けるのは暗黒の刑事裁判」というエントリについて、「裁判員制度になったからといって“冤罪”の可能性が減る保証はないと思うのだけれど(たとえば、もし河野義行氏が起訴されたとして無罪でいられるか、という意味で)」というコメントを書いたら、「松本サリン事件でも,実際起訴されてオウム説が浮上する前に判決言渡し期日がきていたとしたら,職業裁判官は有罪判決を下していたのではないでしょうか。」と返された。これは ncc1701 さんが指摘するとおり、私の例えが悪かった。日本では「起訴されたら、99%の確率で有罪になる」というのが現状のようなので、河野氏の場合、公判を維持できそうになければ、そもそも起訴される可能性は低かったのだし、逆に起訴されていたとしたら有罪になった可能性は極めて高い。

高い有罪率については、職業裁判官が無思慮に有罪認定しているというよりも、検察側に「とりあえず起訴して、裁判所の判断を仰ぐ」という考えがないという面があると思う。実際、「あいつの発言は名誉棄損だ」と警察に相談したところで、すぐに起訴してくれるわけではない。色々証拠固めができて罪を問えそうになってはじめて起訴してくれるというのが現状ではないだろうか。詳しくは書かないが、形式的には明らかに犯罪なのに、証拠云々などの事情で起訴に至らなかったという例を聞いたこともある。その意味では、冤罪とは反対に「罪があるのに、罰を受けない事例」(冤罪の対語って何と呼ぶのでしょう?)もあるだろう。

もちろん、罪のある人に罰を与えられないことより、罪のない人に罰を与えること(冤罪)の方が問題は大きい(だから「疑わしきは罰せず」というのだし)。ただ、検察が今まで通り「有罪が確実な事例」だけを裁判に持ち込み、かつ、裁判員制度の方が裁判官よりも「無罪率が高まる」というだけなのであれば、ランダムに無罪率を高めるのと同じ程度に冤罪率を低くする効果があるというだけではないだろうか。小倉弁護士が裁判員制度に信頼を置くのであれば、「とりあえず起訴して裁判所の判断を仰ぐ」ことを同時に導入されるとしても、同じように裁判員制度を受け入れることができるだろうか。

『ニューズウィーク』か何かで、こんな話を読んだ。アメリカでは、無罪判決を受けると検察は控訴できない。無罪判決を受けたということは「どこかに疑わしい」と思われた部分があり、少しでも「疑わしい」ものを罰しないためである。ある裁判で、少女殺人事件の罪に問われていた被告が、陪審から無罪判決を得た。そして、その判決を聞いた直後に「俺にだまされた馬鹿な陪審どもめ。俺がどうやって彼女を殺したのか詳しく教えてやろう」と詳細を語り始めたのだそうだ。もっとも、そういう場合にまで無罪判決が有効にはならないようで、彼の「自白」に基づき裁判はやり直しになったそうだけれど。

今のところ、裁判員制度は刑事事件だけで採用されるそうだが、では民事事件で取り入れられたらどうなるだろう。あるいは大野病院事件のような場合にも、裁判員は冷静な判断が下せるだろうか。学校で議論の練習すらしていない日本で、“素人判断”を取り入れることに対する懸念を私は拭えないのである。

posted on 2009年5月3日 22:15 投稿者 mohno

Powered by Community Server, by Telligent Systems